見えないものを感じる



一昨日の晩、月を見ていました。

満月に向かうために、だんだんと身体を膨らませるような月でした。



時々、やっぱり、ぼんやりしたくて、

何もないところで、ひとりでいることもあります。



街中のベンチでも、公園の散歩コースでも、

写真のように、湖(浜名湖ですが)にも出掛けます。



最初は、雑踏の中で騒がしい中に居ても、

公園の散歩コースに居ても、浜名湖で夜釣りをしていても、

そこには「ひとり」しか居ません。



しかし、最後には「ひとり」ではないことに気づいて、帰宅します。



何かを感じるのは、自分自身なんだなと気づきます。



失くしてしまうと取り戻すのは難しいですが、

忘れていたものなら、思い出すだけでいいんですね。



集中したい!と思ってもなかなか集中できないですし、

あ、今、集中しているな・・と思った時には、集中は途切れている。



集中って、無我なんですよね。



なんか、絵を書いていれば、その絵の中に自分がいる錯覚があったりね。



無我って、我を無くすことではなくて、

究極の「自分!自分!自分!」ってことなんで、ね。







ちなみに、写真の中央左辺りに鳥居があります。

浜名湖の弁天島にある鳥居です。



写真では見えないですが、そこにあるんです。

あるんなら、月と鳥居を写した写真なんだけど、

それを知らないなら、鳥居なんて無い写真なんです、ね。



なんでしょうね~、見えないものって信じるに足らないなんて、

人間の驕りでしか無いですよね。



金子みすずの詩を思い出しました。



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